dialog

競争から【協創】へ。

真の対話とは何なのであろうか?

どのようなことなのであろうか?

なんかすごい技術があるのだろうか?

対話をすることとは、会話や議論とは違います。強い者は強い者なりに、弱い者は弱い者なりに自分ができることを探すのです。お前はこうしろとかアナタやっといてとか、指示することではありません。他者と自分と共感できる部分を掘り起こし、自分で自分のできることを探し、自らができることを実行に移すことに本来の意味があり、目的のために道筋をきめることが対話なのです。

そして、自分が何者かというプロ意識みたいなものを持ちつつ、それとは反対にその常識や、いままでのやり方に縛られてはいけなません。もう一度、とりまく関係の中心に何がありモノづくりのために何を進化させなければならないのか見出す必要があります。

対話がうまくできるようになるためには訓練が必要です。とくに日本的な和をもって人と接し、言葉の裏を探り合い、沈黙こそ美徳であるといったような中で対話をおこなうためには、よしこれから対話をするぞと無理やり自分の意識をそちらに持っていかなければなりません。さらに個人個人が対話というものがどういうものかを知り、ファシリテーターとしての技術を学ばなくてはいけないのです。

2016/01

【わかりあえない】ことを知る。

人と人。人と他(自然・社会)。自分自身。お互いを根源から理解し合うことなど到底不可能です。

社会的精神が消滅してゆく流れのなかで、私たちはお互いに「決してわかりあうことなどないのだ」という認識を持たねばなりません。

人間の創造力をまだ信じるのであれば、対話と実行の訓練をする必要があります。対話にはルールがあります。自分自身の対話であると同時に絶対他者が同時に対話しているかどうかを見きわめないかぎり対話などという言葉は何の意味もありません。

対話を追求し感得できるよう努力しなければならないのです。

2013/03(2016/01編集)