音をみる

definesのコンテンツのなかでsoundの項に違和感を感じている人がいるかもしれません。
モノをつくる現場で「音」との関わりに馴染めない人も多いのかもしれません。

 
definesの中では、眼でみることができないモノ、それが「音」なのです。視覚情報以外のものを「音」という概念を掘り下げていきたいと思います。眼でみえないことをみようとすることが、つくることに深くかかわっています。

 
今、みえる世界は、「自分にしかみえない世界」なのです、それが「あなたがみている世界」と同一の世界であると断言することはできません。世界は上下左右に無限に広がっています、私たちは、眼という器官のせいで無限に広がる世界を探ることをおろそかにしがちなのです。そして、みえていることが邪魔をして本質を逃しているのです。

 
私たちの仕事は、視覚を中心にしてなりたっていますが、時に、まぶたを閉じて抽象化された「音」の世界に感覚を広げてゆきたいと考えています。

 
そこのキミ。眼でみえない世界をみようとすること。それが「観音」なのですョ。

暮らしという言葉

美術や工芸というものは、いかに「暮らし」によりそってゆくべきか?
「暮らしの手帖」という雑誌をすこしあさってみました。

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“暮らしには。正しいとか正しくないとか、良い悪いはありません。
百人の人がいれば、百の違った暮らしがあるように、世界中どこにいっても同じ暮らしなんてひとつもないからです。暮らしは、人それぞれの心持ちで、人それぞれのかたちで存在しています。
美しい暮らしとはなんでしょう。暮らしの美しさとはなんでしょう。
それは、ひとりであったり、家族であったり、大勢であっても、ささやかな愛情と、手のぬくもりによって、おにぎりのように、まあるくこしらえた暮らしを大切にしようとする人の心、ちからとなる働きです。決して日なたに現れるものではなく、目にみえるかたちでもありません。言葉やかたちで言い表せない、触れただけで自然と涙が流れるようなまばゆいものです。
暮らしとは本来、日々何も変わらず、淡々と同じことの繰り返しが続くことです。ひとつも変わらない毎日をこつこつと精進していく。人にとって、それがいちばんのしあわせです。しかし、社会やまわりは日々刻々と変わっています。新しいほうへ、また明るいほうへと、どんどん変わっていきます。なぜでしょう。それは成長しているからです。
社会やまわりが成長していくなか、自分だけは変わらないことをしあわせと留めていてよいのでしょうか。留まっていたら、どんどん自分が古くなっていくだけです。自分らしさを失わないように、変わらないために、もっとも大切なのは、心とからだをいつもやわらかくし、初々しく、素直に生きることです。
素直になるということは、社会と同様、日々成長しようという心持ちです。そしてまた、いつまでも自分らしく、昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日と、いつも新しい自分であり続ける努力をしていくことが大切なのです。
(中略)
美しい暮らしに大切なものが、もうひとつあります。それは人間らしさです。人間らしさとはユニークであること。人の魅力は、美しさだけではなく、ユニークさもあることを忘れてはいけません。ユニークさには人間のあたたかさがあります。ユニークさの後ろには笑顔があります。笑顔とは楽しいということです。(後略)”
「暮らしのヒント集」まえがき 2009年4月 松浦弥太郎

“美しいものは、いつの世でも
お金やヒマとは関係がない
みがかれた感覚と、
まいにちの暮しへの、しっかりした眼と、
そして絶えず努力する手だけが、
一番うつくしいものを、いつも作り上げる”
「美しい暮らしの手帖」1世紀1号 1948年9月 花森安治

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素直に生きる。ユニークに生きる。
そこのキミ。そんな生き方をどう思う?

ボツ案

私は、包装関係の職場に勤めてます。
スーパーやコンビニで売られている、商品の顔をつくることがが主な仕事です。
クライアントにその商品の顔を提案する時には、大抵の場合、数方向の案を制作することが通例になっていて、1点の採用案の影には数知れないボツ案が眠っているわけです。ただ、そんなボツ案の中には、もしコレが世の中にでれば○○○といったような、つくり手側の熱い気持ちがこもっているモノなのです。

 
ただ仕事的には多くの案の中から一つの売れそうな顔つきを仕立てることが主眼になるわけで、方向が違うと判断された案は、それ以後、その仕事の中では、見向きもされなくなるわけです。

 
若いスタッフの働きっぷりを覗き見ると、決めるコトに主眼において、仏頂面をして、ただ選択することがオノレの仕事とばかりにかまえている輩が多いように見受けられ、少し悲しい気持ちになります。

 
一つひとつの顔を見比べて、この顔つきだったらこんな性格でこんな世界感を持った商品になるかもしれないネ、と、可能性の話をすることを教えてあげたい所だが、そんなコトをしている暇も金も精神的な余裕もないというのが現実なのだ。何かに媚びて気に入られるものをつくるより、なんか可能性がありそうなワクワクするものをつくりだそうとする時の方が、何倍も楽しいし充実感もあるものなのだ。今はボツでも10年後にはOK!かもしれないのだ、10年後のことを今、真剣に考えることができなければそれはやってこないのだ。

 
というわけで「この案はないな。」は禁句なのである。

 
「この案は、いつ、どんな状況だったら活かされるのか。」一つひとつ、笑顔とユーモアをもって接して欲しい。

 
そこのキミ、なにも発言もせずボーッとしているのは、これ以前の問題だゾ。

対話にたどりつくまで

私は、密かに、コミュ障ではないかな…。と思います。

他人とは少し違うことを思い考えているようで、そんなコトを口走るとポカンとされてしまい、そこで会話がしどろもどろになってしまい。「あっ、いやいやスイマセンでした。。。」と言ったところで、時すでに遅し、なにか他人との距離が開いてしまうのでした。

先日対話についての図解を考えていたとき。対話というのは、コミュニケーションの中でも最も難しいテクニックなのではないかと気づきました。コミュ障ぎみの私には、到底習得できないことなのかもしれません。

「対話が必要。」「もっと対話しなくちゃ。」などと「対話」という言葉が流行っているようで、どうも簡単に口にする方が多いように感じます。対話ってのは、まず挨拶ができて、普通にウイットのきいた世間話ができて、その合間に仕事の情報交換なんかもして、時には自分の思想を固めるため議論なんかをして、最後になんか新しいことを考えなくちゃいけないから「今日は対話でいきますか?」なんて言って、ミーティングを始める。類いのコトではないかなぁと思います。

対話は、コミュニケーションのテクニックなのです。ですからその手法を学んだ者同士でなければ成り立ちません。ワークショップではそれらのことをどんどんと掘り下げていきたいと思います。

そこのキミ。コミュ障を克服してまともに挨拶ができる人間にならんとな…。

でした。

 

ハサミの柄ー修理

相方さん愛用のハサミの柄が折れてしまったらしい。

結構、使い込んでいたようで、おそらく指のチカラ加減でプラスチックが疲労してしまったのだろう…。

接着剤で貼付けただけでは、またすぐに壊れてしまうだろうなと思い、軸を入れて修理しました。

捨ててしまっても良いのだろうが、修理できるものはして、使い続ける方が私は好きです。

「100円ショップのハサミ直しておいゾ」と言ったら

「100円じゃないわヨ!」と怒られた…。

老子の言葉

老子の言葉を探りました。
紀元前4世紀から「モノづくり」の思想が脈々と受け継がれているような気がします、
そして、現代の誤りもここから読み取れる気がします。

私たちは「モノづくり」の普遍性を追求しなければならない。

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天下、皆知美之爲美、斯惡已。皆知善之爲善、斯不善已。
 
故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。
 
是以聖人、處無爲之事、行不言之教。
 
萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而不居。
 
夫唯不居。是以不去。

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天下、皆(みな)、美の美為(た)ることを知る、斯(これ)悪なる已(のみ)。
皆、善の善為ることを知る、斯、不善なる已。
 
故(まこと)に有無相生(うむ あいしょう)じ、難易相成(なんいあいな)し、
長短相形(あらわ)し、高下(こうげ)相傾け、音声相和し、前後相隨(したが)う。
 
是(ここ)を以て聖人 は、無為(むい)の事(こと)に処(お)り、
不言(ふげん)の教えを行なう。
 
万物は作(つか)われて而(しか)も辞せず、生じて有せず、
為(な)して而も 恃(たの)まず、功成って而も居(お)らず。
 
夫(そ)れ唯(ただ)居らず、是(ここ)を以て去らしめられず。

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人々は、「美とは何か」を知っているが、それは醜いもと比較しているだけだ。
みんなが「善は何か」を知っているが、それは良くないおこないを知っているだけだ。

 
有から無がわかり、難しさがあるから容易さがわかり、短所があるから長所が形になり、
傾きによって高い低いがわかり、音は混じり合って心地よいものになり、過去と未来は相対的な関係にある。

 
だから、そのような比較を表現することではなく、静寂を教える。

 
そうやって様々な物事をつくりあげても
権利は要求しない、なにか実行してもそれによりかからないし、達成しても見返りも求めない、
それを自分の名誉や栄光として、うけようとはしない。

 
そこに止まらないからこそ、その境地から追い出されなくなるのだ。

 
そこのキミ。この言葉をどうとらえる?

場所づくり

ようやくではありますが…。
ホームページのカタチをなんとなく整える方向がみえてきました。

“Adobe Muse”というソフトを使っています。コードを書かなくてもサイトがつくれるというすぐれものです、以前はソフトを使わずにシンプルにタグをひたすら打ち込んでやっていましたが、便利なものがあるものです。

でもコツコツ、クラフトマンシップに則ってつくりあげることには変わりありません。時間はかかりますがジワジワやってきます。

美学

直感的な話ですが…

 
もう、デザインという言葉を使いたくもないし
それに従事している自分の姿が耐えがたくなってきています。

 
新しい美学を求めたいと思います。