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誤解

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“モノづくり”“クリエイティブ”“デザイン”など呼び方はどうでもよいのですが、モノをつくりだす仕事において世間的に大きな誤解があります。そしてモノをつくりだす仕事(手間ひま)に理解を示さない傾向にあります。

 
それは、一般的にモノをつくりだす人は、“自由で”“気ままで”“協調性がない”という初対面の印象(実はここからモノづくりが始まっているのですが…)に伴うということもあるでしょうが、つくりらない人からみた時に、あまりにもブラックボックスが大きすぎて把握できないが故に、軽視されてしまうのです。

 
モノをつくりだす人は、青線で示したように、何か課題があって、パッとアイデアが湧いて、そのアイデアをマックで一瞬にして定着させてお金儲けをする。そんな特殊な才能を持った人の仕事でしょ…。そして、誰でも、アイデアが出せてマックを勉強すれば、モノづくりができる。といまだに思われているような気がしてなりません。

 
それは誤解です。

 
そんな簡単なものではありません、ナメてもらっては困ります。

 
“モノづくり”とは、こういうコトなのだということを、明確に定義することはとても難しいことです。人や組織にそれぞれのノウハウがあります。ですから、結局のところ方程式をつくろうと努力したところで徒労に終わり、反感を買うことも目に見えます。

 
でも、それを実践し
自分なりに消化してゆかなければ、前に進めないのです。

 
こんなことをいちいち書き出さなくとも
キミとゆっくりと話すことで充分かもしれませんネ。

イームズの時代

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イームズのドキュメントが今、公開されています。
早速、映画館に足をはこび、みてきました。

 
イームズが次々に大企業の経営者と握手をするサクセスシーンはその時代を象徴することだなと思いました。その時代は、モノの隙間をデザインが埋めてくれました、そしてそれがビジネスへとつながった。だからお金儲けの好きな人々は、モノやデザインを目利きする能力が必要でした。そして、お金がなければ生きていけない、電気やテレビや冷蔵庫がなければ生きていけない、といった社会システムを私たちはモノを通してつくってきてしまいました。そして、時代のデザインをより多くの人に低価格で普及させるということでした。

 
時代は進み、もう目をひく新しいモノなどそう簡単に生まれなくなってくるとグローバルの価格差を利用してお金が儲かることがわかりました、さらに、先端的の小さな会社を探し、そのサービスが人々に受け入れられるかどうかを判断してその会社に投資したりしてお金を儲けることが現在の価値感になりました。だれも新しいモノをつくって儲けようなどどは考えなくなり。今ある価値をぐるぐる引きずり回して無理矢理できた小さな差分でお金を儲けることが主流になってしまったようです。お金儲けができるか、できないか。という価値観で“モノづくり”を評価する。それがイームズ以後の今なのです。

 
ただ、それは企業単位のお話で“モノづくり”の新しい潮流は着実に生まれてきています。どんどんと大衆性は薄れてゆきますが、反比例するように、個人レベルの小さなコミュニティーや、まだ貧しい国々などといった、人や自然との関わりの中から本当に自分たちに必要な生活道具を適正なコストでつくってゆく方向にシフトしていってるのではないでしょうか?つくれる人がつくる、お金なんかどうでもいい、“モノづくり”の喜びや実感を得たいという志向は、イームズのモノづくりと共通することなのだと思います。

 
私のアトリエでは、ニッポン人にはちょっと大きめのイームズチェアやフィルムがバカ高いポラロイドはいまだに現役です。それは、大量消費品であるとともに、人間的でとても暖かみのあるモノたちです。今では、そんな工業品は年々少なくなってきているような気がします。ドキュメントの中で企業家と笑顔で握手するイームズより、アトリエで仲間たちとモノをつくっているイームズの姿の方が魅力を感じました。手で素材を触り、そして道具もつくり、モノをつくるといったような、クラフト的で純粋な仕事から普遍的なカタチが生まれてきたのです。けっして、儲けるためにモノをつくっていたわけではないのです。おそらく個人的な生活の未来像があってこそ、そこに明確な価値観があってこそ魅力的なモノを次々と生み出すことができたのではないでしょうか?

 
イームズが、もし、まだ生きていたら…。
企業家ではなくアフリカの人たちと笑顔で握手しているのかなぁ?
そんな妄想を帰り道に考えてしまいました。

 
そこのキミ。
もし映画をみるのであれば、サクセスストーリーではなく
“モノづくり”って何だ?という視点で是非見て下さいョ。

夢をみる

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先日、明け方に夢をみました。
晴天の空のもと、ビル屋上に設置された大きな看板が勢いよく炎に包まれていました。その光景を隣のビルの屋上から何故か冷静にみていました。やがて、炎はおさまり、そのビルの屋上にあった、ほったて小屋の大きな窓を仲間と一緒に汗をながしながら一生懸命に修理をはじめました。木製の枠をカンナがけしたり、ノミでほぞを掘ったり、細かい作業をくり返して、ようやく完成というところで目が覚めました。
とてもリアリティーのある夢だったので、夢判断を調べてみると“火事”も“窓”も結構な吉夢であることがわかりました、今日はなんか降ってくるかもしれないなぁ…。とう予感から、少し考える時間を持とうと心に決めました。

 
そんなこんなで“デファインズ”概念図ができあがりました。モノをつくるとはどういうことか?ということを人に説明するためにマンダラ風にしてみました。自分がやりたいことを明確するため、後輩たちに問いかけをするため、そしてモノづくりが少しはマトモになることを目指して、全体感を感じられるビジュアルをめざしました。結構、よくできたなぁと勝手に思っているわけです。

 
いわゆるマーケティングからモノを発想する方法は、すでに終焉を向かえているわけで、個人の美意識の集積が未来をつくってゆくのだという仮説のもと理想を構築してゆくわけです。

 
みる人がみれば、あぁなるほどなと思っていただけると思います。一つひとつの項目に解説をくわえてゆきたいと思いますが、ちょっと時間がかかりそうなのでとりあえずビジュアルのみ公開しておきます。
マンダラにしてみると対角線上にもなにやら関連性があることを発見してしまいました。

 
そこのキミ、おもしろいでしょ…。

音をみる

definesのコンテンツのなかでsoundの項に違和感を感じている人がいるかもしれません。
モノをつくる現場で「音」との関わりに馴染めない人も多いのかもしれません。

 
definesの中では、眼でみることができないモノ、それが「音」なのです。視覚情報以外のものを「音」という概念を掘り下げていきたいと思います。眼でみえないことをみようとすることが、つくることに深くかかわっています。

 
今、みえる世界は、「自分にしかみえない世界」なのです、それが「あなたがみている世界」と同一の世界であると断言することはできません。世界は上下左右に無限に広がっています、私たちは、眼という器官のせいで無限に広がる世界を探ることをおろそかにしがちなのです。そして、みえていることが邪魔をして本質を逃しているのです。

 
私たちの仕事は、視覚を中心にしてなりたっていますが、時に、まぶたを閉じて抽象化された「音」の世界に感覚を広げてゆきたいと考えています。

 
そこのキミ。眼でみえない世界をみようとすること。それが「観音」なのですョ。

美学

直感的な話ですが…

 
もう、デザインという言葉を使いたくもないし
それに従事している自分の姿が耐えがたくなってきています。

 
新しい美学を求めたいと思います。