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2016年4月、このメンバーでパフォーマンスをする。

2016年4月、このメンバーでパフォーマンスをする。
条件1、即興であること  条件2、独創的であること  条件3、チャーミングであること
http://conte-sapporo.com/ev7_shigatsu.php

 
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参加させていただきます。

 
太陽光発電音響装置計画を進める中、副産物である省電力の音響システムの進化形で挑もうと思っております。(まだ冬の北海道ではソーラーパネルを持ち込んでのパフォーマンスには少々リスクがあるので…電力会社産の電気を使う予定です…。)
最近「シンセシスト」という言葉を知りました。いわゆる鍵盤の演奏技術という意味合いだけではなく、音をつくりだしたり、その音響効果などをつくりだしたりする人。だそうです。ダンサーなどと共演するときに音響装置というのは肉体的なものからかけはなれていて、ほぼ、グリグリと指先でノブを操作するのみで、演奏特有の呼吸感みたいなものを表現するのには向いていないのかもと思うことが度々。でもそうであるがゆえに、音をだすたびに、その場に在る肉体とはかけ離れた精神的な次元と共振できる可能性を感じるのであります。
あと自分の課題としては、「装置の運送は自分で運べるぐらいにすべし。」というのがありまして。よりコンパクトで最大級の効果をだせるようにしたいのであります。というわけで新型の振動スピーカを実験中であります。

 
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銅鑼を2枚とティンパレスとフレームドラムをコンパクトに合体させてみました。4ch仕様です。音が響き合って実に聴いたことがない音が飛び出してきます。すごいっすヨ!

 
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そして、4ch分のデジタルアンプを新調するのでありました。
どんな空間が待っているのでしょうか?ノリにノッタ二人との共振!楽しみであります。

 
みなさま。よろしくお願いいたします。

お詫び

ブログを消去してしまいました。
なんとか、カタチを整えることができましたが。
過去の写真は、復旧できないところもあります。
まあ、自分の忘備録なのでありますが…
心機一転アップしてゆきますので
これからもよろしくお願いいたします。

競争から協創へ

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モノづくりは、売れているモノを分析しそこからヒントを得るコトもよいが、そこにどのような対話がなされたかを分析することを忘れてはならない。今、魅力を感じるモノゴトには、多かれ少なかれ有意義な対話がなされた痕跡がある。表面的なカタチを真似をしたってかなうはずがないのだが。いまだに大半は表面的な模倣とか差別化とかに多くが向かっている。対話の技術を学べる場なんてものは少ないし、まだまだ発展途上なのだ。だからこそ可能性が眠っているし、開拓してゆく意義がある。そのためには、まず、つくり手が意識的に“競争から協創へ”という考えを沁み込ませていかなければならない。

 
グループワークやプロジェクトときくと、皆で喧々諤々、議論し喧嘩をして大変だ、そんなことなどしたくない。と感じている人が多い。確かにグループの中で個人それぞれが持つアイデアのどの案を通すかという時に自分が持っているものが最高だと思ってしまうのはしょうがないことだ。自分の案を通すために、そのアイデアの素晴らしさを力説し他者を蹴落とし戦うことが使命なのだと誤解している人が多いのだ。競争から協創へとモノつくりを進化させてゆくためには、他人が持っている知識や技術や勘を総動員して昇華させていくような対話してゆかねばならない。

 
しかし、さて対話だといって円卓テーブルについただけで全てが平等で対当な対話が成り立つと思ってしまうのは、大きな間違いである。みな自分の立場という席につき、建前から対話に入ろうとする、それは強い者も弱い者も皆同じだ。課題や問題が目の前にせまっている時、その認識が座る席によって大きな開きが生じてしまっているのだ。目の前に座っている人との断絶を感じるのも無理はない。「対話など通用する相手ではない。」「でも」「対話を続ける必要がある。」このような言葉を吐くべきではない。おそらく上記のような場合は、対話ではなく説得という言葉を明確に使うべきだ。上からも下からも目線の違う対話など成立するはずがないのだ。現状をみれば絶望的な結末を予想することしかできない。

 
では真の対話とは何なのであろうか?どのようなことなのであろうか?なんかすごい技術があるのだろうか?

 
対話をすることとは、コミュニケーションをとることではない。強い者は強い者なりに、弱い者は弱い者なりに自分ができることを探すのだ、お前はこうしろとかアナタやっといてとか、指示することではない。他者と自分と共感できる部分を掘り起こし、自分で自分のできることを探し、自らができることを実行に移すことに本来の意味があり、目的のために道筋をきめることが対話なのだ。どんなに小さなことでもいいから目的のために「一緒にやろう」と自らに約束することなのだ、説得し強要することではない。

 
表面的に対話という言葉が一人歩きしている場面をよく見かける、それは、自分らしさが一つも入っていない理想論をいくらやっても実行できることなんてひとつもないはずだ、でも無理矢理それをあたかも素晴らしい成果だというのも気恥ずかしい。自ら動くことにはその人にとって、いままでのやり方を捨て、天地がひっくり返るような大変なことだってあるのだ!それより何より、それ以前に自分が何者かというプロ意識みたいなものがなければ対話などするに価しない。

 
対話がうまくできるようになるためには訓練が必要だ、とくに日本的な和をもって人と接し、言葉の裏を探り合い、沈黙こそ美徳であるといったような中で対話をおこなうためには、よしこれから対話をするぞと無理やり自分の意識をそちらに持っていかなければならない。さらに個人個人が対話というものがどういうものかを知り、ファシリテーターとしての技術を学ばなくてはいけない、義務教育にも早く織り込むべきだと思う。

 
もう会議は止めて対話をしようと提案したいのだが、なかなか残念ながら理解を得ることは難しい、もっとそれについて学び、実践していかなければならないと思うのだが、そこのキミ、どうだろうか?対話の場はあるだろうか?

Solar project in garden vol.53

ホームページに第三世代システムのページをアップしました。
週末に知人宅を訪問し、太陽光発電音響装置の出張ワークショップをおこなった。(飲み会だけどね…)西日の当たる快適なリビングで倍音たっぷりのノイズミュージックを楽しみ。グッドな写真も撮れたので、勢いにのってページを制作。アップしました。
みてね!

よりよい来場者とのコミュニケーションのために

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Maker Faire Tokyo 2015に参加します!!!
2015年8月1日(土)12:00~19:00
2015年8月2日(日)10:00~18:00
東京ビッグサイト(西4ホール+屋外展示場)東京都江東区有明3-11-1
前売:大人 1,000円、18歳以下 500円、当日:大人 1,500円、18歳以下 700円
Maker Faire Tokyo 2015
というわけで準備に勤しんでおります。
参加に向けてサイトをみていたところ、Maker Faireのブースの作り方(よりよい来場者とのコミュニケーションのために)という記事をみつけた。
“作っただけではダメだ。それを多くの人に見てもらって、その素晴らしさを伝えなければ。写真、スケッチ、プロトタイプ、失敗作などなど、そうしたものはそ のプロジェクトの意味と背景を伝える物語になる。Maker Faireを見に来るお客さんは、Makerたちがそのプロジェクトを、なぜ、どうやって作ったのかを聞くのが大好きだ。だから、プロジェクトのプロセス を語るための材料をしっかり集めておこう。”
そして読み進めると
“(15)自分をインタビューする
質問に備えておこう。答を紙に書いて貼り出したり、飛び出す絵本のようにしても楽しい。声を録音しておいてもいいだろう。しっかりと質問に答えられるよう、事前に準備しておくための質問の例を挙げておこう。それに関する面白いエピソードがあれば、会話に絡ませていこう”
とのことだ!
というわけで書かれていた質問で自分にインタビューしてみた!
“プロジェクトの目的は何か?”
「様々なしがらみに絡まったシステムから解放されて自由に表現を楽しみたいと思いました。当時からモジュラーシンセに興味があったのですが電力会社から送られてくる電気を使うことに違和感を感じました。例えばライブハウスなどで演奏する場合でも枯渇性エネルギーに支えられたキラキラとした世界観ではなく、もっと身近に自分たちでコントロールできるモノで純粋に表現を楽しめる文化をなんとかつくりだせないか?と考えたワケです。」
“何をしたかったのか?”
「まず、ビリビリとした電気や人間様のエネルギーを感じたい!そして太陽光発電の可能性を試したかったのです。」
“何に刺激されてこれを作ろうと思ったのか?”
「311の時、計画停電がキッカケ。悶々としていました。」
“なぜ作ったのか?”
「電気のことをまるで知らないドシロウトがどこまでできるのか?試してみたかった。つくるコトでしか世界は変わらないと思っています。」
“同じようなプロジェクトを作った人は他にいるか? それともまったくのオリジナルか?”
「ベランダソーラーシステムを導入している人は多そうだけど、コンパクトに外で遊びに使っている人はそんなに多くなさそう…。とにかくシロウトなので、ある程度出来ている部品の組み合わせ(モジュール化)とパッケージングの新しさにこだわっています。」
“これ以前に作ったものは何か?”
「DIYは大好きです。家具づくりや金属部品、ミシンなどで色々とつくっています。」
“どこが難しかったか? どこが簡単だったか? 意外だったことはあったか?”
「電気の根本的な部分をまるで理解していないところからスタートしているので、+−を間違えて基板を台無しにしたり、ときに小さな爆発に遭遇したりしていました、でも、テスターを買って問題解消!問題点はひとつひとつツブしてゆくこと、回路図も少しは理解できるようになって、理系脳にほんの少し自分が進化できたコト。しかしネットの情報がなければまだ半分も出来ていないと思います。」
“面白い、とんでもない、大変な失敗は?”
「イベント中に箱の隙間からモクモクと煙が出てきたコト。焦ります…。基板がこげる臭いには超敏感になりました。」
“面白い裏話は?”
「北海道でのイベントに誘われた時、航空会社にバッテリーを運べないか質問したところ、見事にたらい回しにされました…。結局バッテリーは運べないとのこと、行きたい場所には陸路で行くしかないのです…。」
“あなたが最初に作ったものは?”
「ブログで太陽光発電を始めることを宣言しました、そしてDCDCコンバータとバッテリーボックスをつくりました。そして、ロゴマークのデザインも…。」
http://artlog.t-katahira.com/?month=201105
“このプロジェクトの師匠になってくれた人はいるか?”
「ほとんどは、google先生からの情報です。たまにお店の人に質問攻めしています。」
“どれくらい時間をかけたか?”
「今年で4年目、最近はヒマがあれば電気工作をしています。」
“どうやって始めたのか?”
「ネットで部品を取り寄せることから。」
“どこからアイデアを得たのか?”
「太陽光発電をやっている人のWebを見ると部品がバラバラでカッコ悪かったから、中身の難しい設計はできないけど、外側のデザインだけはスタイリッシュにしてやろうと思いました。ヴィジュアル系です…。」
“どんなところで作業していたのか? 職場か学校か?”
「自宅のアトリエ。そして公園で実験!」
“いちばん好きな工具は何か?”
「使う道具はみな愛着を持って接しています。」
“このプロジェクトがどう展開すればいいと思うか?”
「普通にライブイベントなど楽しみの全てが自然エネルギーで運営されればよいと思います。」
“現実世界の問題に挑戦したいと思うか?”
「んー。すでに挑戦しているつもり…。」
“これをビジネスにつなげたいか、それともただの遊びか?”
「経済活動とは切り離し、市民ひとり一人が簡単に自分たちのモノづくりできるキッカケをつくりたいです。」
“いっしょに作った人はいるか?”
「イベントを企画してくれたり、一緒に踊ってくれたり、演奏してくれたり。最高の出会いが沢山ありました。本当に感謝しています。」
“他の人のプロジェクトで影響を受けたものはあるか?”
「田口造形音響さん、一度工房におじゃまして色々と見せてもらいました。スゴイ。」
“このプロジェクトで他の人たちに刺激を与えたいと思うか?”
「ドシロウトでもなんとかなるコトをつたえたい。」
“作ることを誰かに教わったことがあるか?”
「美大でモノづくりの基礎は学びました。今は勤め先で経済活動とモノづくりの関係…、日々葛藤しています。」
“次は何を作りたいか? 今考えている次なるアイデアは? 将来は何をしたいか?”
「超ミニサイズのインスタレーションのパーツをつくりたいです。森の中に何台も設置してみたいです。最低10年は継続したいと思いスタートしました。なので、あと6年かけてどう進化するか楽しみにしていてください。」
ちゃんと答えられるか?是非、試しに会場まで…。
よろしくお願いします。

Solar project in garden vol.47

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Maker Faire Tokyo 2015
2015年8月1日(土)12:00~19:00(予定)
2015年8月2日(日)10:00~18:00(予定)
東京ビッグサイト(西4ホール+屋外展示場)東京都江東区有明3-11-1
前売:大人 1,000円、18歳以下 500円、当日:大人 1,500円、18歳以下 700円

 
Maker Faire Tokyo 2015 に参加します! 真夏の暑いさなか野外でやる予定!手伝ってくれる方募集します!興味のある方!声かけてください。よろしくお願いします。
というわけで、説明用のパネルを作成してみました。なんとなく見ていただければ何を考え?何をしているのか?が伝わるように…。

なぜつくるのか?

そこのキミ。人は、なぜ、つくるのか?

 
日々、私たちは生命が脈打ち呼吸するように何も考えずに何かをつくり続けている。
今日は、なぜそんなコトを繰り返しているのか自問自答してみようと思う。

 
まず最初に思いつくことは、「生きるため」だ。ヒトは衣食住がなければ生きてゆけない進化をしてしまった。身を守るために着るものをつくらなければならないし、食べ物を手に入れるために動物を獲るための道具や農作物をつくらなければならない、さらに厳しい自然から逃れ安息な棲家が必要だ。ヒトは一本の棒を持った瞬間から生きるための道具を獲得するように進化したのだ。しかし、それはヒトに限ったことではなく、動物や昆虫でも似たように巣をつくったりすることを見ると生命活動の一種なのだといってもいいのかもしれない。

 
生命活動といえば、恋人をつくり結婚して子供をつくる。なんてことも種を絶やさず「生命を維持するため」というのも一つの答えなのだろう。他にも、ミイラも永遠の生命や蘇りを信じてヒトのカタチを残すという創造行為もその表れなのかもしれない。でも、「生命を維持するために、私はいろんなモノゴトをつくっているんだ。」というには少し隔たりを感じてしまう、それは、生命を維持するだけではなく、ずいぶんと余分なものを付け加えてしまっているからだ。その余分なものを削り落とせばよいとは考えづらい。

 
ではその余分なものとはなんだろうか?ミイラを例にとれば、まず人間関係が思いつく、王様と平民の上下関係をモノで表さなければならないのだ、誰もが煌びやかな装飾と永遠の命を手に入れられたわけではなく社会の頂点のみがそれを手にしていたのである。上下関係に関わらず、平民同士でも自他の目覚めが余分なものをつくるきっかけになっていたのではないだろうか。
もう一つ考えられるのは神(自然感・死生観)との関係だ、人間社会には常に人智を超えたところに神がいた、その神と「つながるため」につくらなければならないモノがあったのだ。そのモノは神を象徴するに留まらず、社会をまとめる役割、ヒトと神とつなげる役割、自分と内なる自分をつなげる役割、を担っていたのだ。

 
今日の結論として
「生きるために」物質的に満たされるために。「つながるために」心が満たされるために。さらにそれらが「維持」されるためにつくっているのだ。つまり、生命は「生きのびる」ためにつくらなければならないのだ。
どうだろうか?

Solar project in garden vol.39

プリント
そこのキミ。
拡散よろしく!

 
大崎l−eにてライブやります。

 
バグシンセの中田粥さん主催
『悟性・超Nakedダシ vol.3』

 
“太陽発電音響装置計画”
100%太陽産の電気を使い
独りで音を出します。

 
ソーラー発電やモジュラーシンセに
興味のある方も無い方も
究極的に音って何なんだ?という
問いを投げかけられる一夜にしたいと
たくらんでおります。

 
「ナーダブラフマー」(世界は音)
全ては振動し、私たちひとり一人も
音でできている。
全ては振動であり、実のところ
何の物質も存在しないそうだ。

 
私の音は
森羅万象と通じるための音
ではない。
断絶の音だと思う。

 
何と響き合おうとしているのか?

 
その答えを是非教えてください。

 
7月27日(sun)大崎にて待ってます。

らしさ

プリント

 
魅力的なモノには、なにか“らしさ”みたいなモノが宿っている。よく個性的とか、オリジナリティーがあるとかそんなチンケな言葉で評される。でも実は、ほんの些細なモノでもその人“らしさ”ものがにじみ出ているものであり、個性やオリジナリティーなどというものよりもっともっと大切にしなければならないことなのだ。

 
学生の頃。石彫の課題で直径30センチぐらいの球を掘らされた。当時バカな学生だった私は、無責任でテキトーな仕事をしたことを覚えている。何年もたって後悔しても始まらないのだが、一見、簡単にみえる仕事にこそ自分“らしさ”を表現するポイントは沢山隠れていて、まさに自分を掘り下げることができるチャンスでもあるのだ。当時、出来の悪い生徒だったので、まったく課題をくみ取ることが出来なかったのだが、何年もしてその意味に到達できたのは、当時テキトーに過ごした数日間があったからこそで、今となっては、そんな課題を出してくれた学校と、講評のときに美しき珠をみせてくれた旧友たちに感謝するとともに、自分の中に教訓として組み込まれている。

 
勘違いしてはいけないのだが、モノづくりは、自分“らしさ”を表現することが目的ではない。モノづくりを追い求める過程で“らしさ”が自然とにじみ出てきてしまうものなのだ。それは、裸の自分のようでもある。であるからして、面白くもあり、憂慮しなければならないのだ。真面目に取り組む姿勢こそが、いい意味で“らしさ”を呼び込むことにつながるのであり、テキトーという自分“らしさ”が定着してしまっているのであれば、その時点で失格であり現場から退場すべきなのだ。

 
前置きが長くなってしまったが、今日は“らしさ”を呼び込む4つのポイントについて考えてみた。

 
“予見的認識”
若いとき、自分のアトリエを持つことが第一の夢だった。自分が何かをつくり続けられる環境を手に入れたかったのである。相当いろいろな人に迷惑をかけたし、助けてももらった。そんな仕事場があるのに、つくり続けることと止めてしまうこととの瀬戸際を日々歩いている。こんな文章を書いているのもつくり続けるための一つの手段なのである。年齢的なものもあるかもしれないが、アートとデザインから美術とモノづくりへと思考を変えようとも思っている。それは、自分の将来のこともるし、社会の変遷に一役買いたいという思いがあるからだ。時は流れているのだ。すべて、これからのことを考えてのことなのだ。

 
“美的五感”
いわゆる、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、といわれるものから、美しさの感じ方は人それぞれである。美しさに触れた数だけセンスがよくなるはずである。しかし、美という概念は不明瞭な点が多すぎていけない。均整がとれたものには、ある程度の法則がある、その法則を学べばそこそこ美しいものはできるだろう。だが人の感性は、実は法則だけで支配されているものではなく、超常的なもの影響されている、常に自己存在とそれをとりまく環境の関係において揺れ動いていているのだ。だから世の中、美しいが魅力を感じないものが大半なのである。だから美に対して常に疑いを持つべきだ、なにが美しいのか?常に問うのである。その日その時、美しいと感じてしまった自分を分析し、それが他人にも共感できるものか、将来的に美の法則として成り立つものなのかを常に考えている。

 
“身体的考察”
一時、陶芸にはまったことがある。その時に感じたことは、“手という道具”の偉大さだ。ロクロ場に行くと年配のうまい人がたくさんいた。未熟であった自分は、一生懸命、ツワモノのつくりを真似てロクロをひくのだが、あこがれのカタチには絶対にならない。普通の人よりはカタチをみる目はあるはずと自負していたのに同じようにやっても微妙な違いがあるのだ…。一見ほぼ同じでも絶対なにかが違うと感じるのだ。再度、ロクロをひいているツワモノの姿を端でつぶさに観察してみていると、「こうしよう、ああしよう。」という意思があまり感じられない、本当に自然体で土に向かっているのだ。そして自分との大きな差に気づいたのだ。“手”である。手の大きさやカタチ違うのである。あたりまえと笑ってはいけない。寸法を決めて図面どうりにつくったとしても手が触れる箇所は、その人のカタチにしかならないのである。それを考えると“手という道具”を鍛えつつ、素直に使うことを心がけなければならないのだ。

 
“合致的品質”
最終的にモノに落とし込むときには、完成度が求められる。どんなにすばらしいアイデアであっても、それを相手に伝えるときにボロボロの制作物で伝わることは、まずアリエナイ。仕事はキレイで当たり前なのだ。自分の意思が100%詰まったものを目指すのだ。現場ではプリンタで偶然ついてしまった小さな点も許されない、チェックを重ね、もしそんな落ち度があったらそれを修正するのだ。当然こんなことは最後の仕上げである、その前にすべきことが沢山あるのだが、最後の仕上げにどれだけ気を配っているかによって99%から限りなく100%に近づけるのだ。だからモノをつくる人は、細かいこだわりを持って、ひとつひとつを積み重ねている。

 
らしさにつながる4つのポイントをだしてみた。
ここまで書いて恥ずかしいが、上に書いたコトは、何一つとして出来ていない、ただの理想像だ。でも理想があるからこそ、それに近づこうとする意思が働く。今日する仕事にまやかしが無いか自分につきつけなければならない。

 
そこのキミ。キミがつくるものは、キミにしかつくれない。
それは、キミらしさが良くも悪くも働くからだ。オッサンは、本当のキミらしさがみたいのだ。
是非“らしさ”を究極まで追求してほしい。
オッサンもまだまだ、がんばるゾ。

非言語・暗黙知

プリント

 
最近、非言語や暗黙知をビジネスに活用せよ!という流れが出てきている。大きな2つの潮流だ。

 
1つめは、動物的なヒトの習性を利用して一儲けしようゼ!というもの。極端な例は、ヒトは赤色には反応するから、この売り場には赤い商品を並べたら売れますョ、というもの。言葉では表せない、共通認識みたいなもの、思わず反応してしまう事をなんとか探り当ててモノを売ろうゼというもの。どうも、魚釣りの疑似餌みたいな感じで…なんかバカにされている気がしてくるのだが…。けっこう研究されているようである。

 
もう1つは、いわゆるプロが集まって非言語・暗黙知領域を探ろうゼ!とする流れだ。かつて、モノづくりの現場では、個人ひとり一人が自分の非言語・暗黙知領域にたどりつき、そこにある共通認識らしきものを探し出してくることが仕事だった、しかしながら、その手法も情報過多による、やりつくした荒廃感があるということで、みんなで仲良くワークショップなどをしながらファシリテータをたよりに効率よく非言語・暗黙知から発見されたコトバを次のモノづくりに活かそうゼ。とする動きである。多くの合意をもとにモノづくりに励むのだ。

 
最近のモノづくり終焉に、非言語・暗黙知の軽視が1つの理由であるとするならば、人間の奥深さへの探究をもう一度、クリエータなどと呼ばれる人たちが再考すべきであろう。最先端の研究者が仏教に目ざめるというようなことも探求心に由来するものではないだろうか…?

 
様々な知識や経験を詰め込んだ人の非言語・暗黙知を探ることは興味に値するが
薄っぺらなヒトから抜き取ったそれは、動物性を浮かび上がらせる。
どうも、最近の傾向は後者を連想させる。
人がつくりだすモノは、その人の感じが在るハズだ。